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起業までの道のり

更新日:

 

西村泰一のネットビジネス講座西村泰一公式LINE@

 

起業までの道のり…目 次

1話 起業まで道のり~僕の幼少時代

1.自己紹介

2.驚愕の事実?!小学生のころの夢は〇〇だった!

3.日本の起業人口の実情

4.僕のスクールの現状

 

 

2話 お金儲けに対する考え方

1.他人のせいにしない 

2.お金儲けは他人に役立てるためにするもの

2-1.日本人のお金に対する考え方

2-2.日本人の寄付額はアメリカ人の50分の1

 

 

3話 高校卒業後の僕が3年間のアルバイトを通して学んだこと

1.3年間のアルバイトを通して学んだこと

1-1.上下関係の厳しさと社会人としての常識

1-2.人の違いを知る中で自分を知る

1-3.「あいつは人の上に立てる人間じゃない」という先輩の一言

 

 

4話 夢の一人暮らしでずっと欲しかった〇〇を手に入れた!

1.僕のずっと欲しかった気持ちの正体とは

2.誰もが欲しいこの充実感

 

 

5話 初めての起業

1.初めての起業で選んだ仕事

2.独立起業ってそんなに甘くなかった

2-1.うまくいかなかった原因

2-2.初めての起業で気付いたこと

3.そのときの僕が考えていたこと

 

 

6話 独立を考えた初めての就職

1.起業に失敗して

2.起業ができる業種を探してみると

3.初めての就職

 

 

7話 まさかの大企業入社

1.大企業で働くことのメリットとデメリット

2.P社での仕事内容とは

 

 

8話 独立の夢が消えそうに

1.独立の夢が薄くなるほど働いて

2.昇格試験を受けさせてもらえない?!

 

 

9話 投資家として生きていく

1.模索を続ける日々は続く

2.投資家として生きていく

 

 

10話 馬券必勝法で独立ができるか?

1.いち早くパソコンを購入

2.競馬必勝法で独立する!?

3.パソコン通信でしていたこと

 

 

11話 ぐるなびの先を越す

1.インターネットが登場して

2.ぐるなびの先を越す

3.インターネットで物を買うのは怖い?

 

 

12話 運命が変わった!ヤフオクとの出会い

1.ヤフーオークションとの出会い

2.ネット転売を始める

 

 

13話 フリマ仕入れを始めて快進撃が始まる

1.フリーマーケットで仕入れを始める

2.〇〇才で、やっと稼げるように!

 

 

14話 輸出入も始め、順調に売り上げを伸ばす

1.輸出入を始める

2.副業時間の捻出方法

 

 

15話 副業のおかげで収入は右肩上がり

1.バブル崩壊後の大きなツケが回ってきた!

2.副業に助けられる

 

 

16話 日本中のサラリーマンを救ってやる!

1.情報販売ビジネスを知る

2.ようやく独立起業の夢が形に!

 

 

17話 メルマガ1位で華々しくデビュー

1.情報販売について戦略を立てていく

2.初めてコンサルティングを受ける

3.発行部数1位を獲得、華々しくデビュー

 

 

18話 突然のチャンス到来で情報販売デビュー

1.奇跡のチャンス到来!

2.情報販売デビューで何をしたのか?

 

 

 

19話 独立起業に向けてドラマは急展開

 1.ドラマはさらに急展開!

2.やっぱり神様はいるんだ…

 

20話 起業までの道のりはいかがでしたか?

   (※起業からの道のりはこちらです)

 

 

 

1話 起業まで道のり~僕の幼少時代

1.自己紹介

2.驚愕の事実?!小学生のころの夢は〇〇だった!

3.日本の起業人口の実情

4.僕のスクールの現状

 

 

初めまして。 西村 泰一(にしむら ひろかず)です。

今日から、僕のの起業までの道のりを書いていきたいと思います。

なんせ、起業を志してから独立起業の夢を達成するまで

20年以上かかっています。

よって、その道のりは非常に長かったです。(笑)

今日は最初なので、まずは幼少時代の話から始めたいと思います。

 

 

1.自己紹介

1961年 昭和36年2月に京都府の八幡市で生まれました。

ちなみに今は大阪府の枚方市に住んでいますが、

大阪と京都とは言え、八幡市と枚方市は隣接していて、

結局生まれてから、ずっと同じあたりに住んでいます。

小学生、中学生時代はおとなしい方で、

人前で話すのは苦手でしたが、 友達は多くて、

「誰とでも仲良くしよう」

というのは当時から変わってない気がします。

勉強は嫌いで、当然ながら成績は悪く、

いつも両親から怒られていました(笑)

 

 

2.驚愕の事実?!小学生のころの夢は〇〇だった!

 

小学生の何年か忘れましたが、

「将来何の仕事をしたいか」 というのを書いて

提出することになりました。

 

そのとき、クラスのみんなは、

 

・パイロット

・野球選手

・お医者さん

 

など夢のあることを書いていました。

 

しかし、僕は 「サラリーマン」 と書いて出したのを覚えています。

メチャメチャ現実的に考えていましたね。

可愛くない小学生です(笑)

 

逆に実際、就職する頃には、 みんながサラリーマンを目指しているのに、

僕は起業を目指していたのは、 皮肉な話ですね。

 

 

3.日本の起業人口の実情

 

今でこそ、起業という言葉が浸透し、

起業をすれば、起業家と呼ばれる時代ですが、

当時はそんな言葉すらありませんでした。

 

 

僕が高校を卒業した時代は、

バブル景気の少し前で、

日本経済も右肩上がりで

サラリーマンが優遇され

 

 

高校や大学を卒業するとサラリーマンになるのが

当たり前という時代でした。

 

そんな時代に

みんなと一緒じゃない発想をしていた

僕はやっぱり変わっていたのかもしれません。

 

 

ちょっとこの資料を見てください。

 

これは総務省の「就業構造基本調査」を用いたデータです。

 

2014年 中小企業白書より引用

 

 

このデータから

1979~2007年、日本では

起業希望者及び起業準備者は、

1990年代後半から急激に減少していますが、

起業家は一貫して20~30万人、誕生しています。

 

どんな時代であっても、

起業家の人数はさほど変わっていないようです。

 

また、これは起業志望者及び起業家の性別及び年齢別構成です。

 

 

2014年 中小企業白書より引用

 

 

この「起業志望者及び起業家の性別及び年齢別構成」

データを見ると、60歳以上の起業家が

それぞれ全体の3割を占めています。

 

近年、起業家の割合は

60歳以上の割合が増加しています。

そして、60歳以上は起業希望者の割合よりも

起業家の割合が高いのです。

 

 

4.僕のスクールの現状

 

僕のスクールでも

40代~60代の入会者が増え

年々高齢化しています。

当初はネット転売の対象も

主婦のお使い稼ぎで入会される方が

多かったのですが、

 

ここ数年は、

リストラ危機に備えて副業として、

退職してもお金が必要、

 

年金を補填するため、

年金がないから生活できないと

 

理由は様々ですが

時代を反映させるように

男性や高齢者の方が増えています。

 

平均寿命は延び

60代は確かに定年と言われる年齢層ですが

まだまだ若く余力もあります。

退職してもお金が必要です。

 

サラリーマンが安定という時代は崩れ、

これからどうなるか分からない時代に

突入しています。

 

だからこそ、

お金に困らないような対策をする必要があるのです。

 

僕はこのインターネットを通じて

このブログの名前の通りみなさんが

「お金に困ることのない生活」を

実現できるようサポートします。

一緒に頑張っていきましょう。

 

話は長くなりましたが、 次回は高校時代の話です。

 

 

 

2話 お金儲けに対する考え方

1.他人のせいにしない

2.お金儲けは他人に役立てるためにするもの

2-1.日本人のお金に対する考え方

2-2.日本人の寄付額はアメリカ人の50分の1

 

さて今日は高校時代に話になります。

中学時代はろくに勉強しなかったので成績も悪かったですが、

地元の私立高校に進学しました。

 

高校に入ってもあまり勉強もせず 成績は相変わらずで、

サボって欠席することも多かったですが、 何とか卒業はできました。笑

高校時代で、今につながる思い出は2つあります。

 

 

1.他人のせいにしない

 

僕が起業で成功する条件の中に

自分で決断して、すべて責任を持つことができるか

ということがあります。

 

起業すると時間もお金もすべて自由になり

それがうらやましいという方も

いらっしゃいますが、

それとは逆に大きな責任を手にすることになります。

 

売り上げが上がらなくても

大失敗しても

赤字になっても

倒産してもすべてが自分の責任になります。

 

しかし、その意識は非常に重要で

責任がないと起業しても成功するのは極めて難しいといえるからです。

僕も企業に勤めていたので分かるのですが

上司が悪い

会社が悪い

と仕事でうまくいかないことは全部他人のせいにする人は意外に多いのです。

そんな人が同じ意識のまま起業すると間違いなく失敗します。

 

というのは、そんな人は、自分のビジネスについても

買った教材が悪い!

ビジネスパートナーが悪い!

だまされた!

と他人のせいにしますし、

後から消えていった人を何人か見ています。

 

起業すると決断の連続です。

そしてその決断に絶対的な責任を持つ

それが起業に成功するための絶対条件です。

 

そんな意味から最初から何も依存せず、

すべて自分の力でやるという考え方は

僕の今までの起業人生と繋がっています。

僕はビジネスを成功させるには、これらのことが大切だと考えています→【保存版】ビジネスをする上で一番大切なこと

 

 

2.お金儲けは他人に役立てるためにするもの

2-1.日本人のお金に対する考え方

 

とはいえ、稼いだお金の使い道として

「困っている人を助けたり、寄付ができるし」

と言った僕に対して

「は~?」と変人扱いした友達の気持ちも

分からないわけではありません。

 

なぜなら日本人はお金に対する価値観が

独特だと言われているからです。

 

日本人は、貯金は美徳である、

お金は苦労して稼ぐもの

積極的に稼ぐということが良いように思わない人が多く

日本は世界一貯金をしている人種だと言われています。

 

理由はいろいろありますが、

日本では90年代のバブル崩壊から

「投資はするな」

「借金はするな」

という風潮が強まったからだと言われています。

 

 

2-2.日本人の寄付額はアメリカの50分の1!

 

ですから、お金に対する価値観から、

寄付についての価値観も違います。

ニュースでもマイクロソフトのビルゲイツ氏や

フェイスブックのマーク・ザッガーバーグ氏が数億円の寄付をしたと

発表して世間を驚かせましたが、

アメリカでは高所得者だけでなく、一般の庶民も寄付をしており

寄付は日常生活の中では特別なことではないのです。

 

 

それに引き換え、日本人の寄付額はアメリカ人の50分の1だと言われています。

日本人も震災のときのように、寄付は集まるのですが

一瞬で、アメリカのように続くことは少ないそうです。

一生お金に困らない使い方が詳しく書いてあります。

 

 

 

3話 高校卒業後の僕が3年間のアルバイトを通して学んだこと

1.3年間のアルバイトを通して学んだこと

1-1.上下関係の厳しさと社会人としての常識

1-2.人の違いを知る中で自分を知る

1-3.「あいつは人の上に立てる人間じゃない」という先輩の一言

 

 

高校は普通科で大学に行く人が多かったので

僕も一応受験しようと思っていたのですが、

思うような大学には行けそうもなくて、

結局受験することもなく卒業しました。

と言っても就職が決まっていたわけでもなく、

とりあえずアルバイトを始め、今で言うフリーターになりました。

 

 

僕が18歳の時の話ですので、

もちろん「フリーター」という言葉はありません。

アルバイトも学生アルバイトであって、

社会人がアルバイトをするというのは

一般的にあり得ない時代でした。

 

10年、20年後には一般的になるフリーターを

その時代にやっていたのは、

ある意味時代を先取りしていたのかもしれませんが、

世間からは失業者扱いで、

就職もしていない落ちこぼれとして

社会人スタートを切りました。

 

 

初めての仕事は、

百貨店の倉庫でトラックに荷物を積み込む仕事で、

ダンボールに入った商品を1日中トラックに積み込んでいました。

そこは数ヶ月で辞めました。

 

 

1.アルバイトを通して学んだこと

 

トラックに荷物を積み込む仕事を辞めた後は

京都にある喫茶店で3年働きました。

喫茶店ということで、

学生アルバイトも同世代で、社員も20代の若い方が多く、

非常に楽しい社会人生活を送ることができました。

 

 

また店が京都の繁華街にあったので、

仕事が終わってから

連日のように先輩たちと飲みに行きました。

 

 

先輩たちと会話をする中で、

今の起業人生に繋がるような

大切なことを教わりました。

 

 

お酒が大好きになったのもこの頃で

これは今も続いています。

 

 

1-1.上下関係の厳しさと社会人としての常識

 

 

まずは、社会人としての楽しみを覚えたと同時に

上下関係の厳しさも教わりました

 

 

数カ月前までは

接するといえば、同じ年代の学生、

親の庇護のもとで暮らし、

学生時代の目標といえば、

テストの点を上げることだったりするわけで

初めて社会に出て

上下関係を厳しいと感じるのは

無理もないのですが。

ここで覚えたことは

今にも生かされています。

 

 

また、同じく挨拶や、敬語の使い方、社会人としてのマナーなど、

社会人としての一般常識も覚えました。

 

 

1-2.人との違いを知る中で自分を知る

 

京都の喫茶店で働く仲間や先輩には変わりありませんが、

 

考え方の違い、価値観の違い、生き方の違い、人生の違い、

夢の違うものが集まっています。

 

そんな先輩や仲間たちと話をする中でそれらの違いを知るということは

当時の僕にとって、非常に刺激があったというか、学ぶものがありました。

 

またそんな中で、自分を知るということも教わりました。

 

1-3.「あいつは人の上に立てる人間じゃない」という先輩の一言

 

今でも先輩が言っていた一言でよく覚えているのが、この

「あいつは人の上に立てる人間じゃない」という言葉です。

去年まで高校生だった僕は、

最初、その言葉を聞いても意味がわかりませんでした。

だからこそ頭にその言葉が残ったのかもしれませんが、

先輩のその言葉を聞いてから

「どんな人が人の上に立てる人なのだろうか」

ということを考えるようになり、

人の上に立てる人と立てない人の違いを考えるようになりました。

これも、今に繋がっていることです。

 

 

これらが、高校卒業後の僕がアルバイトを通して学んだことです。

今考えても、21年間勤めた会社よりも、

この喫茶店での3年間の方が 思い出も多く、

今の起業人生に繋がり、生かされていることが多いような気がします。

京都での3年間は、本当に楽しく、

非常に有意義なアルバイト生活だったと思います。

 

 

4話 夢の一人暮らしで、ずっと欲しかった〇〇を手に入れた!

1.僕のずっと欲しかった気持ちの正体とは

2.誰もが欲しいこの充実感

 

高校卒業後はフリーターをしていたわけですが、

それと同時に一人暮らしを始めました。

僕は高校時代から、早く親から独立したいという意識が強く、

早く一人暮らしをしたくてたまらないと思っていました。

アルバイトをして収入も入ってきたので、 早速一人暮らしを始めたわけです。

と言ってもかなりの安月給だったので、 忘れもしない、

家賃1万2000円 という6畳一間のボロアパートを

借りることにしました。

 

ちなみに1万2000円というのは、 当時でもかなり安い家賃で

駅からはもちろん、バス停からも遠く離れていて

今にも壊れそうなボロボロの木造2階建てのアパートで、

風呂は無く、ポットン便所で、

それはもうひどいアパートでした。

 

 

それにひきかえ親の家は、

そのころ開発された新しい住宅街に建ったばかりの 結構広くて綺麗な家でした。

よって、その落差は大きかったです。

 

それでも僕は

自分の力で生活している

という満足感が大きかったのを覚えています。

 

1.僕のずっと欲しかった気持ちの正体とは

前にも書きましたが、

僕は、小さいときから独立したい、

親の世話にはなりたくないと強く思っていたので

広くて綺麗な親の家に住ませてもらっているより、

自分の力でボロアパートに住んでいる方が、

はるかにいいと思っていました。

 

自立したいと強く思っていた僕は

経済的にも早く自立したかったのだと思います。

 

 

僕は、自分の力ですべてを成し遂げたという

この充実感や満足感というのは

何ものにも代えがたいものだと思います。

 

 

親に頼ったり

人にしてもらうのは簡単で楽なことですが

人に頼ろう、依存しようという考えのままでは

この満足感を得ることは

きっと一生得ることができないのだと思います。

 

 

2.誰もが欲しいこの充実感

 

またこれは主婦で何か仕事を始めようとする気持ちにも

似たところがあるなと思っていて

 

旦那さんの給料でなんとか家計は回るけれど

自分の遊ぶお金ぐらいは自分でなんとかしたい

 

 

旦那さんの意見をいちいち聞くのではなく

自分の力でお金を稼いで自由に使いたい

 

僕のスクールに通う女性の方も

きっかけはそんな気持ちからだったと

おっしゃる方もいらっしゃいます。

 

自分の力で稼ぐ喜びを知ると

急に自信を持って

驚くような快進撃を見せる人もいますからね。

 

 

それからそのアパートには3年間住みましたが、

とうとう倒壊の恐れがあるので取り壊されることになり、

立ち退きになりました。

このアパートが僕のスタート地点だったと 今でも思い出します。

 

 

5話 初めての起業

1.初めての起業で選んだ仕事

2.独立起業ってそんなに甘くなかった

2-1.うまくいかなかった原因

2-2.初めての起業で気付いたこと

3.そのときの僕が考えていたこと

 

 

1.初めての起業で選んだ仕事

実はここで1回目の起業をしています。 僕が20歳か21歳の時でした。

起業と言っても完全に独立した形ではありませんでしたが、

軽トラックをリースで借りて、 廃品回収業を始めました。

 

 

今は、もう見かけることも減りましたが、

古新聞やダンボールを集める古紙回収です。

 

走るスピードによって、

集めることができる量が変わるので

軽トラックで1日中トロトロ走って、

古新聞や雑誌を集めて回っていました。

 

そして、食事はいつもパンを買って軽トラの中で食べていたので、

軽トラの中で生活しているようなものでした。(笑)

 

2.独立起業ってそんなに甘くなかった

 

僕にとって初めての起業は

そんなに甘くはありませんでした。

収入は、喫茶店でアルバイトしていた時より減って

生活ができなくなりました。

 

そのせいで、僕は徐々にやる気を失くしていきました。

労働時間に比例するように収入も減り、

どんどん負のスパイラルに巻き込まれていったのです。

 

それでも生活しなければいけないので、

廃品回収業で足らない分は

アルバイトで補足し、ギリギリの生活が

1年ほど続きました。

 

 

2-1.うまくいかなかった原因

当時、僕の収入は月に10万円ぐらい。

だから、月20万円儲かると書いてあった

廃品回収業の広告を見て

誰でも月20万円儲かる!と

思い込んでしまったのです。

 

この経験を通して

独立起業ってそんなに甘くない

ということを思い知らされました。

 

2-2.初めての起業で気付いたこと

 

廃品回収業も

走るスピードによって

集める量が変わったり、

上手く生かす部分や、

改善するとこがあって

非常に奥の深い仕事でした。

 

やはり成功するには、経験と努力を

積み重ねることが必要だと

このとき気付いたのです。

 

3.そのときの僕が考えていたこと

倒壊寸前のボロアパートに住んで、

1日中軽トラに乗って廃品回収をして、 食事をするお金も無いって、

ある意味どん底の人生のように聞こえますが

本人は意外と明るく意気揚々と生きていました。(笑)

「こんな生活は嫌だ!」 なんて思ったことはありませんでした。

 

なぜなら、自分の力で稼いでいるという実感が非常に嬉しく

日々が充実していたからです。

 

学校を卒業して普通に就職した人には 絶対に経験することができない、

エキサイティングな人生を歩めたと思います。

これらの経験は、今考えてみると、 とても貴重な経験だったと思います。

 

この経験があったから、

結果が出るまで諦めずに続けることを覚えました。

結局これが一番大事だと

分かりました。

人生に無駄なことは何一つないのですね。

 

 

6話 独立を考えた初めての就職

1.起業に失敗して

2.起業ができる業種を探してみると

3.初めての就職

 

 

1.起業に失敗して

 

廃品回収業では完全に失敗して撤退し、

またフリーターをしていましたが、 まだまだ起業の志は強く、

まったく諦めていませんでした。

 

2.起業ができる業種を探してみると

 

しかし当時は、インターネットはもちろんパソコンも無い時代で、

今のように手軽に資金なしで起業できる分けではありません。

何か他の事業が無いかと探していたのですが、

廃品回収業の失敗から、

起業して安定して稼ぐことの難しさも感じていたので、

すぐ起業するのは無理かとも思うようになりました。

 

 

3.初めての就職

 

そこで、 将来独立するために有利な仕事を探して、

一度就職しようと考えるようになり、

職種として電気工事を選びました。

 

僕は、21歳で初めての正社員として就職しました。

電気工事に限らず工事業者って、

10人、20人で一つの工事をしていても、

実際にはその業者の社員だけでなく、

下請け、孫請けの人達も一緒に働いていますね。

 

そんな風に、独立して親会社から仕事をもらえれば、

比較的安定して稼げるし、 独立資金もそんなにかからないので、

これがいいんじゃないかと思ったわけです。

 

ある程度経験を積んで一人前になれば、

工具一式と車があれば下請けとして独立できるようになるので、

これでいこうと決めました。

ということで、 初めて正社員になって、

電気工事の仕事を毎日頑張り、

いずれ独立できるよう腕を磨いていました。

 

そして1年ほどたった時、 また大きな分岐点が訪れます。

 

 

7話 まさかの大企業入社

1.大企業で働くことのメリットとデメリット

2.P社での仕事内容とは

 

近いうちに電気工事の下請けとして独立しようと頑張っていたのですが、

突然転職の話が舞い込んできました。

当時はまだDVDどころかテープのビデオもまだ普及してない時代でしたが、

やっとビデオデッキが10万円台に下がってきて

一般家庭にも売れ始めた時で、 日本の全家電メーカーが、

ビデオ事業を急拡大している時でした。

大阪に本社のある日本最大手のP社ももちろん

ビデオの工場建設、作業員の大募集していました。

 

 

1.大企業で働くことのメリットとデメリット

大企業で働くと、福利厚生もしっかりしていますし、

収入も安定するでしょう。

しかし、僕としては独立起業を考えていたので、

このような大企業に入社することは

不利になるということはその時でも十分分かっていました。

大企業では、 仕事は細分化されて、

ほんの一部のことしか分からないのと、

経営者との距離が遠くなるなど、

起業を目指す人にはデメリットが多いのです。

当時の僕もそれを考えて、 P社への転職には気が進みませんでした。

 

しかし回りからの強い勧めもあり、

「一度大企業で働いてみるのもいいかな」

という軽い感じで、 腰掛け程度に考えて応募したのですが、

無事入社することになりました。

 

この時僕は22歳、 今でもよく「22歳でP社に入社」と言うと、

大学を卒業してP社に入ったエリートのように思われますが、

実際は大違いでした。(笑)

 

と、それまで予想もしていなかった方向に進むことになり、

P社の社員として勤務をすることになりました。

 

2.P社での仕事内容とは

入社してからは、 毎日何千台ものビデオデッキが目の前を流れていき、

トイレにも自由に行けずに、組立作業に追われる毎日が続きました。

 

同じ作業を1日何千回もするという、

まったく頭を使わない仕事を来る日も来る日も続けるわけで、

まあ予想していたとはいえ、あまりの単調さにいきなり仕事が嫌になりました。

 

しかし、せっかくなので、 ここで学べることは全て学んでやろうという

貪欲さはあったのは覚えています。

 

フリーターをしたり、

軽トラに乗って廃品回収をしていた人間が、

日本を代表する大企業の社員になるのですから、

人生分からないものです。

 

 

8話 独立の夢が消えそうに

1.独立の夢が薄くなるほど働いて

2.昇格試験を受けさせてもらえない?!

 

 

1.独立の夢が薄くなるほど働いて

 

P社に入社してからですが、

・いずれ独立起業する

・会社の仕事で起業に役立つことは無い

という気持ちはありましたが、

目の前にある会社の仕事はできるだけ一生懸命やっていました。

 

 

一時的に独立の夢が薄くなるほど会社の仕事を一生懸命やっていたように思います。

最初は、少し働いてすぐに独立起業を考えていたのですが、

夢中になって働くうち、

あっという間に5年という年月が経っていました。

 

 

30歳からは、海外への長期出張も何度も経験して、

上からもそれなりに認められていると自分では思っていました。

しかしここからまた順調に行かなくなります。

 

2.昇格試験を受けさせてもらえない?!

 

この頃になると、優秀な同期はそろそろ役付けの昇格試験を受け始め、

僕もいち早く試験を受けて役付けにという希望を持っていたのですが、

その希望とは裏腹に、僕は受験すらさせてもらえず、

仕事へのモチベーションがどんどん下がっていきました。

 

技能士など必要な資格もたくさん取得していたし、

何度か表彰もされたこともあって、 スキルは認められていたと思うのですが、

役付けの試験になると全然受けさせてもらえないのはなぜ?

と、徐々に不満がたまっていきました。

 

しかし、 実はこれが僕にとってとてもラッキーな結果をもたらすことになります。

会社の仕事へのモチベーションが下がることで、

独立への思いが再び強くなったことと、 平社員だと残業も少なく

副業に十分な時間を取ることができたからです。

 

後から考えるととてもラッキーだったのですが、

その時は非常に不満に思っていたのは確かです。

 

 

9話 投資家として生きていく

 

1.模索を続ける日々は続く

2.投資家として生きていく

 

 

1.模索を続ける日々は続く

 

P社に入社してからも独立起業を意識していたので、

常に副業をしたり、起業できるような仕事を探したりしていました。

入社したのは今から30年以上前のことで、

終身雇用が当たり前の時代です。

 

特にそんな大企業では、定年まで勤めるのが常識 でしたが、

僕はそんな気はまったくありませんでした。

もちろん副業は禁止でしたが、

コソコソと副業をして お金儲けの勉強をいつもしていました。

 

中でも覚えているのは、ネットワークに挑戦し、

いつかは不労所得で月100万円以上入ってくると

信じて頑張っていましたが、

時給に換算すると、アルバイトの方が

いいぐらいだったような気がします。

 

副業と言っても、

今のようにネットで自宅にいながら手軽に副業なんて無く、

今よりハードルは何倍も高かったです。

 

2.投資家として生きていく

 

僕にとってラッキーだったのは、

20代の後半に日本がバブルに突入したことです。

僕もそのバブルに乗って投資を始めて、

「相場師になって投資だけで生きていく」

と寝ても覚めても投資の研究ばかりして、

株や不動産、商品先物など あらゆる投資に手を出していきました。

 

最初はバブルに乗って稼げたのですが、

それを自分の実力だと勘違いをして、

「俺って天才投資家」 って有頂天になっていたのはバカでした。(笑)

 

まあ、バブル全盛期の日本は、日本全体が毎日お祭り騒ぎで、

この状態が永久に続くかのようにメディアは報じていましたし、

若い僕がそう思ったのも無理はないと思います。

 

結局バブル崩壊で、相場師になる夢はあっけなく崩れ去りました。

ただ、今も投資は続けていて、

あの時にお金の勉強をいっぱいし、お金の使い方も学びました。

それは、今でも役立っています。

 

 

10話 馬券必勝法で独立ができるか?

 

1.いち早くパソコンを購入

2.競馬必勝法で独立する!?

3.パソコン通信でしていたこと

 

 

バブル崩壊とともに投資家での独立の夢は絶たれましたが、

その後も諦めずに様々な挑戦を続けました。

 

1.いち早くパソコンを購入

パソコンが出てきた時は、1ヶ月の給料より高かったですが、

いち早く買って勉強を始めました。

今になって考えてみると僕は、

パソコンでも、この後に出てくるインターネットでもそうですが、

単にいち早く勉強するだけでなく、

常にお金儲けの方法を考えていました。

 

前例が無いので、誰かに教えてもらうこともできず、

ひたすら自分で考えて、

何かお金になる方法は無いかと考えて

挑戦していたように思います。

 

2.競馬必勝法で独立する!?

パソコンで一番思い出に残っているのは、

競馬必勝法を編み出そうと、

パソコンに膨大な競馬のデータを入れて、

収支がプラスになる買い方を研究していました。

今のようにネットでデータが入手できる時代ではないので、

過去の競馬のデータを本や新聞から手入力で入れて、

いろんな仮説を立てては分析し、

プラスになる法則を研究していました。

 

これもある程度はうまくいきましたが、

そんなに儲かるものではなく、

もちろんそれだけで独立なんてとても無理でした。(笑)

これ以外にも色んなことを考えては挑戦していましたが、

どれもうまくいかずに失敗ばかりで時間が過ぎていきました。

 

3.パソコン通信でしていたこと

 

この頃になると「パソコン通信」というものが始まって、

ネット上で情報交換ができるようになり始めました。

もちろん僕はこのパソコン通信も、

いち早く導入して またこれでビジネスはできないかと考えるようになりました。

 

覚えているのは、 売ります・買いますコーナーがあって、

そこで中古品を売っていました。

これが、その後ネット転売を始める元になったのかもしれませんね。

そして1995年 34歳の時に いよいよインターネットが登場します。

 

 

11話 ぐるなびの先を越す

 

1.インターネットが登場して

2.ぐるなびの先を越す

3.インターネットで物を買うのは怖い?

 

 

1.インターネットが登場して

 

1995年にWindows95が発売され、

少しずつですが、インターネットが普及を始めました。

僕も早速インターネットを引くようになりましたが、

当時は電話のダイヤル回線を使っての接続で、

プロバイダーも時間制だったので、 接続料が気になって、

落ち着いて見れる状態ではありませんでした。

しかし、それでも早速自分でホームページを作り始めました。

 

ホームページビルダーなど、ソフトも無かったので、

HTMLを直接書いて作るしかなく、

最初から勉強する必要があったため、時間はかかりましたが、

毎日寝る間を惜しんで頑張りました。

 

当時はまだ大手企業でも自社のホームページが無く

そもそもインターネットがビジネスに必要なものだという

認識もされていませんでした。

しかし、僕は 「何かできるかもしれない」 という一心で研究を続けました。

 

2.ぐるなびの先を越す?!

まず思いついたのが、 居酒屋やレストランなどを紹介するサイトを作って

集客に貢献すれば、広告料が取れるんじゃないかと思って、

実績作りのために無料で近隣の居酒屋などを紹介するサイトを作っていきました。

もちろんどの居酒屋もホームページを持っているわけもなく、

お店に行っておすすめ料理やアピールポイントを聞いて、

それを自分で書いてページを作っていきました。

 

今みんなが使っている 「ぐるなび」「食べログ」のようなサイトですが、

僕の方が先にアイデアは出していたんですね(笑)

 

とは言ってもまだインターネットがマニアだけのもので、

会社でも誰一人ネットを引いている人はいなかったような時代なので、

集客効果はほとんど無く、

もちろん広告料を取れることも無く終わりました。

 

3.インターネットで物を買うのは怖い?

 

今では信じられない話ですが、当時は 「人はインターネットで物を買わない」

と言われていました。

それでも僕は、化粧品のネット通販を考え、

販売会社に交渉したり、 いろんなアイデアを出して実践しては失敗しての

繰り返しが延々と続きました。

 

 

12話 運命が変わった!ヤフオクとの出会い

 

1.ヤフーオークションとの出会い

2.ネット転売を始める

 

1995年から、 インターネットを使ってビジネスができないかと、

挑戦しては失敗の連続が延々と続いたのですが、

5年たって2000年、ここで運命が大きく変わります。

 

1.ヤフーオークションとの出会い

1999年9月28日にヤフーがオークションのサービスを開始しました。

僕が実際に出品したのは2000年に入ってからですが、

とりあえず、家内の古着を出品してみました。

 

どうせ捨てるものなので、

例え100円でもいいと思って出品したのですが、

思った以上に次々と高く売れていきました。

 

これが、僕の運命を変えることになるとは 夢にも思っていませんでしたが、

よく売れるので、不要品を夢中になって出品していきました。

 

2.ネット転売を始める

その段階ではまだ不要品処分であり、

ビジネスにはなっていませんでしたが、

2ヶ月ほどたったある日、

家内の買い物に付き合って、

レディースウェアの店の店頭にあったワゴンセール品を見た時、

「古着であの値段で売れるなら、このセール価格より高く売れるんじゃないか」

と思って500円のスカートを1点買ってもらいました。

そして出品したところ予想通り1500円で落札されました。

これが僕にとって、ネット転売を始めるきっかけになります。

それから セール品をまとめ買いをしてヤフオクに転売するようになりました。

 

13話 フリマ仕入れを始めて快進撃が始まる

 

1.フリーマーケットで仕入れを始める

2.〇〇才で、やっと稼げるように!

 

 

ヤフオクにセール品のレディースウェアを転売することで

少し結果が出て、  

これはいけるかな? と思えたわけですが、

そもそも女性服の知識もまったく無かったし、

どこにどんな店があるかも、

セールをやっているかどうかも分からなかったので、

仕入れは不安定でした。

土日は家内に付き合ってもらって

地元のデパートなどをまわってセール品を探しましたが、

そんなに見つかるものでもなく、

途切れ途切れの出品が数ヶ月続きました。

 

1.フリーマーケットで仕入れを始める

 

そんなある日、 地元で大きなフリーマーケットが開催され、

ひょっとして仕入れができるかも? と思って行ってみたのですが、

これが予想通りいい仕入れができ もの日からは仕入れに困ることは無くなりました。

 

大阪では毎週日曜に、

南港や万博公園などで大きなフリーマーケットが開催されているので、

毎週日曜に仕入れに行ってヤフオクに転売するという

稼ぎ方を確立しました。

フリーマーケットは稼げる商品の宝庫でしたし、

だんだん商品知識もついてきて、 売上も順調に上がり、

快進撃が始まりました。^^

 

ちなみにその頃は、 ヤフオク関係の本も無ければ、

オークファンのようなサイトも無い時なので、

ひたすらヤフオクのサイトを見て自分で研究をするしか方法がなく、

毎日ヤフオクのサイトを穴が開くほど見ていました。

 

やっと通信費の夜間定額が出てきたのですが、

夜その時間になるとアクセスが急増して全然サイトが見れないという、

とても貧弱なネット環境だったので、

僕は早朝3時とかに起きてヤフオクの仕事をしてから出社するという

生活パターンで副業をするようになりました。

 

2.〇〇才で、やっと稼げるように!

 

こうしてやっと自分の力で稼げるようになったのですが、

この時僕はすでに39歳でした。

ネットでの稼ぎ方を研究し始めてから5年目、

廃品回収業で初めて独立起業を目指した時からだと

19年目のことです。

いやー 本当に長かったです。(苦笑)

 

 

14話 輸出入も始め、順調に売り上げを伸ばす

 

 

1.輸出入を始める

2.副業時間の捻出方法

 

 

1.輸出入を始める

 

フリーマーケット仕入れのヤフオク転売を始めて、

それだけでも十分な仕入れがありましたが、

色々やってみたくて リサイクルショップからの仕入れや eBayからも仕入れを始め、

この時から輸入を始めていました。

 

その後、逆にeBay出品も始め、

副業時代にすでに輸出入をしていました。

この時ちょうど40歳のことです。

販売先はヤフオク以外に、

楽天オークションやもう今はありませんがビッダーズなど、

多くの販売先で併売するようになり、

仕入先も、問屋などの業者からの仕入れ、

アメリカの問屋からの輸入など、

順調に拡大していきましたが、

それも仕入れのメインはフリーマーケットだったのは

変わりませんでした。

 

 

2.副業時間の捻出方法

そんな感じで2年、3年と経ち、

限界まで時間を絞り出して副業に取り組んでいました。

 

相変わらず早朝に起きて、出社ギリギリまで副業をして、

帰りの電車で仮眠して、 夜遅くまで副業、 土日は仕入れに走り回る、

という生活で、 年中寝不足の上、

1秒でも早く服を着替えるための工夫とか、

シャワーや食事も超速で済ませて、 作業時間を捻出していました。

 

副業でも売上は順調に伸びていたので、

専業になって1日中ネット販売をすれば、

家族が生計を立てることは可能だと思えるようになり、

念願の独立を考えるようになりました。

しかし、 ネット販売を本業で独立するのは、

今ひとつ踏み切れないものがあって、 副業のまま続けていました。

 

 

15話 副業のおかげで収入は右肩上がり

 

1.バブル崩壊後の大きなツケが回ってきた!

2.副業に助けられる

 

 

1.バブル崩壊後の大きなツケ

 少し話が戻りますが、 僕がネット販売を始めた2000年は、

日本の終身雇用神話が崩れ、 毎年あった昇給がなくなるどころか、

収入が下がる会社も珍しくなくなりました。

1990年にバブルが崩壊して、

その後も何とか10年ほどは会社も耐えていたのですが、

とうとう耐えられなくなったような状態でした。

僕が勤めていた会社も ボーナスはもちろん給料もカットされ、

年収は大きく下がりました。

幸いにも僕は副業での収入が入り始めたので良かったですが、

同僚や先輩たちは悲鳴をあげていました。

 

バブルが崩壊して不景気だとか言っても

年々給料は上がるものだと思ってイッパイイッパイ、

住宅ローン、車のローンを組んでいる人が多く、

子供の教育費など支出が増える時になって給料が下がると、

生活が非常に厳しくなってしまったというわけです。

僕の回りにもそういう人が多く、

みんなが頭を抱えてそういう話をしていました。

 

2.副業に助けられる

僕は副業での収入の増加が、 会社の年収の下落幅よりも大きく、

トータルでの収入は相変わらず右肩上がりで、

何の問題もなく生活をしていました。

悲鳴を上げている同僚や先輩を見て、

ネット販売のノウハウを教えてあげたい気持ちは山々だったのですが、

会社は副業禁止ですし、 親切で教えてあげても、

逆に上司にチクられて 問題になっても困るので、

教えてあげることはできませんでした。

 

これは僕にとって大きなジレンマになっていたのですが、

実はこれがその後の僕の人生を変えることになります。

 

16話 日本中のサラリーマンを救ってやる!

 

1.情報販売ビジネスを知る

2.ようやく独立起業の夢が形に!

 

 

1.情報販売ビジネスを知る

 

会社の賃金カットで苦しんでいる同僚や先輩を見て、

ヤフオクのノウハウを教えてあげたいなー と思いながら

社内では副業のことは言えずにいましたが、

そんなある日のことです。

本屋さんで起業関係の本を立ち読みしていて、

アメリカでは情報を販売するビジネスがあることを知り、

これだ!! と思いました。

僕の会社の同僚や先輩だけでなく、

日本中に同じように、

賃金カットやリストラで苦しんでいるサラリーマンは たくさんいるはずだ。

 

その人達にヤフオクのノウハウを教えてあげよう!

日本中のサラリーマンを救ってやる!!

 

という壮大なミッションを感じて、

今まで培ったヤフオクのノウハウなど、

ネットでの稼ぎ方を人に教える仕事をしようと決意しました。

 

それと同時に、 この仕事で独立起業しようとも思いました。

その時は2004年で、 ヤフオクを始めて4年経っており、

自分では、ヤフオクのノウハウでは日本一だと勝手に思っていました。(笑)

 

副業でしたし、 売上も大したこと無かったですが、

4年間試行錯誤で身につけたノウハウには自信がありました。

日本中のサラリーマンを救うなんて実際には無理ですが、

その時は本気で思っていました。(笑)

 

2.ようやく独立起業の夢が形に!

 

すでにネット転売だけでもそこそこの収入になっていたのですが、

独立起業するためにもう一つ柱が欲しいとずっと思っていました。

よって、

・ネット転売での実務

・そのノウハウを教える仕事

の2本立てで独立しようと、

いよいよ独立起業を具体的に考えるようになりました。

 

 

17話 メルマガ1位で華々しくデビュー

 

1.情報販売について戦略を立てていく

2.初めてコンサルティングを受ける

3.発行部数1位を獲得、華々しくデビュー

 


 

1.情報販売について戦略を立てていく

ヤフオクのノウハウを教える仕事をしようと決めたのはいいですが、

当時まだ日本には情報販売がまったく普及しておらず、

もちろんインフォトップなどの情報販売スタンドもありませんでした。

情報販売関係の本を3冊買って、

そのやり方を調べ戦略を立てていきました。

これが2004年4月のことです。

まず無料メルマガを発行して、

そこからセミナーや教材販売に進めていく、

ということは分かり、 まず「まぐまぐ」から

無料メルマガを発行することにしました。

 

2.メルマガコンサルタント平野さんのコンサルティングを受ける

やるからには最高のものを! と意気込んで調べているうち

メルマガコンサルタントの平野さんを知り、

サイトを見ると 「個人コンサル2万円」 というのがあって、

これを受けようと、早速メールしました。

実はそれまで東京に行ったことが無かったのですが、

新幹線往復の料金調べてコンサルフィーと合わせて5万円ほど払ってでも

コンサルを受けて教えてもらおうと思ってメールしました。

 

結局、6月に平野さんがセミナーで大阪に来る予定があるということで、

その時に大阪でコンサルを受けることになりました。

 

忘れもしません。

この時平野さんと会って、 生まれて初めて名刺交換しました。^ ^

43歳で初の名刺交換なので、かなり遅いですね。(^_^;

平野さんのアドバイスを受けてタイトルなどを決めて、

6月中に発行手続きも完了。

 

そして7月12日 「誰でも出来るオークション起業」 のメルマガを創刊して

この業界にデビューを飾りました。

 

3.発行部数1位を獲得し、華々しくデビュー

 

その発行部数は5724部で、その週の創刊メルマガの1位を獲得したことで、

人脈を作るきっかけになりました。

無料メルマガでブランディングとファンづくりをしたら、

次は教材を販売するということになりますが、

ただでさえ睡眠時間を削ってネット販売をしていたので、

メルマガを書くだけでも大変で、

とてもじゃないですが教材を作る時間は捻出できませんでした。

しかし、 ここから独立起業に向けて幸運に次ぐ幸運のドラマが始まります。

 

 

18話 突然のチャンス到来で情報販売デビュー

 

1.奇跡のチャンス到来!

2.情報販売デビューで何をしたのか?

 

 

1.奇跡のチャンス到来!

 7月にメルマガを創刊して業界デビューを果たしましたが、

睡眠時間をギリギリまで削っての生活が続いており、

有料の教材を作る時間はとても捻出できそうにありませんでした。

そんな時に奇跡が起こります。

 

僕が勤めていた会社は、

勤続10年毎に約1ヶ月の休暇をもらえるというありがたい会社で、

その時ちょうど僕は勤続20年で、その休暇をもらえる年でした。

予定ではまだその休暇の取得は半年くらい先だったのですが、

突然僕の担当している仕事が暇になって、

上司から 「急だけど休暇を取ってくれるか」 と言われて、

突然1ヶ月の休みになりました。 メルマガを創刊して1ヶ月後の8月のことです。

 

2.情報販売デビューで何をしたのか?

僕にとっては願ってもないチャンス到来で、

その休暇を利用してヤフオク転売の教材を作り、

発売まで一気にやりました。 ちなみに当時はまだインフォトップも何もなく、

それどころかPDFのいわゆるe-bookという今では当たり前のものが まだ一般的ではなく、

マニュアルの販売は、製本屋さんで自費で本を作って売るという方法でした。

とりあえず300冊作ったのは覚えています。

費用は確か10万円ほどでした。

 

もちろんクレジットカード決済なんてできないので、

個人口座への銀行振込での支払いで、

入金があれば本を郵送するという原始的な方法でした。

 

そして、アフィリエイトのシステムも無いので、

紹介者コードを申込フォームに入れてもらい、

自分で集計してアフィリエイターさんに振り込むという

これも恐ろしく原始的な方法でした。

 

こんな感じの情報販売デビューでしたが、 思ったよりもよく売れてくれ、

気分は上々でした。(笑)

物販とそれを教える仕事の2本立て という構想が現実化して、

これはいよいよ、 と思っているとまたまた奇跡が起こります。

 

19章 独立起業に向けてドラマは急展開

 

1.ドラマはさらに急展開!

2.やっぱり神様はいるんだ…

 

 

1.ドラマはさらに急展開!

 

情報販売デビューは順調な滑り出しで、

この仕事を柱にできると思うところまでいき、

1ヶ月の休暇が終わり9月になって出社しました。

 

すると! ここで何ともいいタイミングで、

会社からリストラを実施するとの発表があったのです!

もうこれは、 僕が独立するためにすべて仕組まれたものかと思うほど

すべてがいい流れでした。 メルマガ創刊してすぐ、

急に休暇が変更になって1ヶ月休み、

それを利用して情報販売デビュー。

 

それが売れて、

ノウハウを教える仕事を柱にできると思った途端に 会社からリストラが。

まさにドラマでした。

 

2.やっぱり神様はいるんだ…

20年間、何をしても失敗ばかりだったのに、

うまく行きだすとこんなにうまく行くんだと思いました。

神様はいるんだなー と何度も思いました。

10月にリストラの募集が始まり、上司に申し出て退職届を出し、

年が明けて2005年1月31日付で退職 念願の独立起業となりました。

ここまで本当に長かったですが、

最後は本当にバタバタと進んで独立しました。

 

 

20章 起業までの道のりはいかがでしたか?

43歳で念願の独立起業を果たし、

起業までの道のりの記事も終わりました。

 

いかがでしたか。

この記事ですが、意外と反響があって嬉しいです。

親しい人にもここまで詳しく昔の話をすることもないので、

飲み会の席でもこのブログの話が出て、

「そんな長い間頑張ったんですねー」 と色々言われます。

 

波乱と言えば波乱ですが、

その時、本人は特に波乱だとも思わずにここまで来ました。

普通に学校を卒業して就職して定年まで勤めた人に比べると、

確かにいろんな経験をしてきましたが、

それもいい思い出になりました。

平凡で淡々と過ぎていく人生ってつまらないと思いますし、

大変なことが色々あるからこそ、面白いんだと思います。

 

人は小さいころと変わらず、大好きですが。(笑)

 

この後は、少し間を置いて、 起業後の10年間の歩みも書いてみたいと思います。

 

早速起業相談も頂いていますが、

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