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多額の借金をした意外な有名人 その完済の秘訣とは?

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西村泰一のネットビジネス講座西村泰一公式LINE@

今回は、多額の借金をしていた意外な有名人と、その有名人がどのように借金を返済したか?を紹介します。

借金がある方はぜひ参考にしてください。

■多額の借金をした意外な有名人 その完済の秘訣とは?
1.林 修 先生
2.阿部 寛

1.林 修 先生

1-1.プロフィール

1965年生まれ
タレント、東進ハイスクール・東進衛星予備校国語科専任講師。担当は現代文。ワタナベエンターテインメント所属。

1-2.お坊ちゃん育ちの幼少期~借金地獄に陥るまで

大手酒造メーカーの副社長まで務めた父を持ち、いわゆる「お金持ち」の家庭に育ち、幼稚園のころは運転手付きの車でお迎えされていたほどのおぼっちゃんでした。

また頭もよく、小学生の頃は神童と呼ばれ、中学は勉強をせずに名古屋の進学校東海中学に入学。
そのまま東京大学の法学部に入学しました。
東京大学時代は家庭教師のアルバイトに明け暮れ、大学生にして月収50万円を稼ぐほどでした。

そんな林先生ですが、就職し社会に出たとたんに崩壊してしまいます。
ます、就職した日本長期信用金庫を5カ月で退職します。
理由は、入社1週間で、「この会社はつぶれる」と確信したからだそうです。

信用金庫を退職し、無職状態になった林先生の生活も破綻していきます。

キャリアを頭脳を武器に投資顧問会社やIT関連の会社を起業するも、ことごとく失敗。
さらに株取引でも大失敗し、競馬などのギャンブルにも手を出して大損してしまいます。

これを補填するために親族からお金を借り、その借金総額は1800万円にまでふくれ上がりました。

1-3.塾講師へ転職~現在まで

そこで、林先生は、借金を返済するために一念発起し塾講師として働きます。そして、92年に「東進ハイスクール」の予備校講師に転職。

予備校講師は1年ごとの契約更新制で、結果をださないと契約を切られてしまう厳しい世界。指導力の高さだけではなく、生徒を引き付ける授業の面白さも求められます。

「東大特進」クラスの担当に抜擢された林先生は、当初は生徒集めに苦戦していましたが、歴史上の偉人の名言などを授業に盛り込むことで人気を獲得。生徒は短期間で数倍になり、名物講師になりました。

ドン底から這いあがってきた林先生に更なる幸運が舞い込みます。授業中に偶然発した「いつやるの?今でしょ!」という言葉が東進ハイスクールのテレビコマーシャルに使われ、それをきっかけに芸能界で大ブレイクしました。

奥さんも現役の産婦人科医。当然、1800万円の借金は全て返し終わっているでしょう。

1-4.多額の借金を返済できた秘訣とは。

林先生に人にものを教える才能がずば抜けていたということが成功の大きな要因でしょうが、借金地獄に陥ってしまった時に一念発起せず腐ってしまっていたら現在の地位はありませんでした。あきらめずに自分にできることを捜し続けてきた結果、借金を返済し、大成功したものと考えられます。

                                               ※写真はお借りしました

2.阿部 寛

2-1.プロフィール

1964年6月、神奈川県に三人兄弟の末っ子として生まれる。中央大学理工学部電気工学科。大学在学中にお姉さんの勧めで「集英社第三回ノンノボーイフレンド大賞」に応募、みごと優勝をはたし、芸能界入り。

2-2.メンズノンノのモデルでブレイク~数億円の借金を背負うまで

その後「メンズノンノ」の専属モデルとして大ブレイク。ファンレターはひと月に4千通という人気ぶり。「メンズノンノ」の創刊号から43号まで表紙を務め、なんと「同じ雑誌の表紙を世界で最も連続して飾った人物」として、ギネスブックにも認定されました。

そんなモデルとして大人気だった1980年代、阿部さんは知人から紹介されたマンション投資に手を出します。
当時はバブル景気で「不動産は絶対に儲かる」という風潮があり、阿部さんは借金をして不動産投資にのめり込みます。
ところが、すぐにバブルが崩壊。20代という若さで数億円の借金を背負ってしまいます。

仕事が順調なら何とかなったかもしれませんが、折り悪くモデルとしての人気も低迷。
阿部さんはモデルから俳優へと転身し、再起を図ります。

1987年に「はいからさんが通る」という映画でファンだった南野陽子さんと共演、俳優デビューしました。
「モデル出身」という肩書と彫りの深い顔立ちから、本人曰く「フェラーリで乗りつけるような」二枚目の役しかもらえず、かといって主演を張るほどの人気がないため使いどころの難しい存在と言われた阿部さん。さらに阿部さんは身長189センチ、体重75kgという大男。長身がネックとなり「相手役の女優とのバランスが取れない」という理由で芸能界からのオファーは次第に途絶えてしまいます。

2-3.生活のためにパチンコを打ち続ける日々

さて、数億の借金を返済するどころか、日々の生活費すら事欠くようになった阿部さんはパチンコ依存症になり、ついに芸能人でありながらパチプロ生活に突入することに。こうして生活のために目立つ身体を小さくしながらパチンコを打ち続ける日々がズルズルと3年も続いてしまいます。

自堕落ぶりが極まっていた阿部さんですが、バラエティー番組『あの人は今!?』で取り上げられたことで一念発起。
これをきっかけに過去の栄光を完全に捨て去り、名前のない端役やイロモノキャラなど何でも貪欲に挑戦して演技力を磨こうとします。

 

2-4.一念発起し、個性派俳優の道へ

1995年にはNHKの大河ドラマ「八代将軍吉宗」に老中役で出演。これを機に時代劇への出演も増えていきます。 そして努力が実り、阿部さんは「ただのモデル上がり俳優じゃない」と周囲に認められ始め、徐々に「実力のある個性派俳優」として脇役が大半ながら出演作が増加していきました。

俳優としての再起をつかんだ矢先の2000年、阿部さんは自身最大のヒット作となったTVドラマ「TRICK」にめぐり合います。

これで運が向いてきた阿部さんは、2003年に13年ぶりとなる主演ドラマ「最後の弁護人」で主役有働弁護士を演じ、人気を博します。その後も検事役で起用されたドラマ「HERO」や主演を務めたドラマ「ドラゴン桜」、役柄が阿部さんそのものとも言われる「結婚できない男」などヒット作に次々と出演。一躍人気実力派俳優として「再ブレイク」状態になります。

2007年に公開の映画「バブルへGO!!タイムマシンはドラム式」のPR会見で「最近、やっと借金を返し終わった」と告白し、約20年かけてバブル時代の数億円の借金を完済したことを明らかにしました。額の大きさを考えれば仕方ないのでしょうが、上に書いた人気ドラマに出演している間も借金の返済を続けていたことになります。

 

2-5.借金を返済できた秘訣とは

デビューしたころは、壁にぶつかって腐ってしまっていた阿部さんですが、プライドや過去の栄光をすてて、がむしゃらにどんな仕事でもしたことで復活できました。人間の底力はどん底になって初めて発揮されるものなのかもしれませんね。

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